パワースポット熊野三山
【バスツアーに参加】
近頃は団体での遠出も殆んどないご時世であるが、久しぶりにバスツアーに参加した。
地域のことは地域でなんて格好いいことを言う気はないが、年老いた田舎のラジオ少年も地区役員の一角を担っている。
その地区役員の慰安旅行でバスツアーによる世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の旅に参加。
しかし、岐阜県〜愛知県〜三重県〜和歌山県へと、北の奥飛騨から南の紀州までのバスの旅は長かった。
自動車道は三重の途中までしか開通しておらず、国道いわゆる下道もけっこう距離があった。
那智の大滝に到着したのは午後3時30分過ぎ。
巨木に囲まれた参詣道は薄暗かったが、133段の階段を下りると那智の大滝133mが目の前に現れた。

那智大滝の133段の後は600段の石段が待っている。
土産物店で借りた杖を突きながら石段を登っていく。
やはり日頃の不摂生がたたる。
やっとの思いで登った先が、西国三十三箇所第一番札所の青岸渡寺(せいがんとじ)。
三重塔と那智大滝の風景に見入っているうちに参拝時間が終了し、残念ながら本堂にはお参りできなかった。
その隣にあるのが熊野那智大社。
熊野那智大社は和歌山県那智勝浦にある神社で熊野三山の一つ。
熊野夫須美大神を主祭神とする。
奥飛騨の地から紀州の地まで無事来られたことに感謝しつつお参りした。
すっかり辺りは薄暗くホテルに着いたのは5時半過ぎ。
今朝6時半に出発してからバスに揺られて11時間。
早速、疲れを癒すために温泉へ。ドボン。
そしてお決まりの宴会へ。
59変調に弱い年老いた田舎のラジオ少年は、長旅の疲れもあってか・・・

翌日は熊野本宮大社へ。
参道には階段が。
段数は少ないが、昨日の階段登りで筋肉痛・・・。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあったという。

社地は創建以来その中州にあったと思われ、明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかった。
しかし、明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられている。
旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。
なかなか来られない本宮へのお参りなので、みんなで記念写真を。
パチリ。
その後、熊野本宮の御札を頂いた。
正月を迎える神棚に地元の神様と共に鎮座していただきましょう。

熊野三山の最後は、熊野速玉大社。
ここは平地で階段がない。
ホッ・・・
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶそうだ。
折りしも11月の七五三で、着物で着飾った親子連れで賑わっていた。
可愛い子供たちにおめでとうと声をかけた。
そしてこの後は、お土産店へ。
紀州の梅干・ミカン・魚などなど。特産品は豊富だ。
思い思いの土産を手に北へ北へと家路を急いだ。
【バスツアーに参加】
近頃は団体での遠出も殆んどないご時世であるが、久しぶりにバスツアーに参加した。
地域のことは地域でなんて格好いいことを言う気はないが、年老いた田舎のラジオ少年も地区役員の一角を担っている。
その地区役員の慰安旅行でバスツアーによる世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の旅に参加。
しかし、岐阜県〜愛知県〜三重県〜和歌山県へと、北の奥飛騨から南の紀州までのバスの旅は長かった。

自動車道は三重の途中までしか開通しておらず、国道いわゆる下道もけっこう距離があった。
那智の大滝に到着したのは午後3時30分過ぎ。
巨木に囲まれた参詣道は薄暗かったが、133段の階段を下りると那智の大滝133mが目の前に現れた。

那智大滝の133段の後は600段の石段が待っている。
土産物店で借りた杖を突きながら石段を登っていく。
やはり日頃の不摂生がたたる。
やっとの思いで登った先が、西国三十三箇所第一番札所の青岸渡寺(せいがんとじ)。
三重塔と那智大滝の風景に見入っているうちに参拝時間が終了し、残念ながら本堂にはお参りできなかった。
その隣にあるのが熊野那智大社。
熊野那智大社は和歌山県那智勝浦にある神社で熊野三山の一つ。
熊野夫須美大神を主祭神とする。
奥飛騨の地から紀州の地まで無事来られたことに感謝しつつお参りした。
すっかり辺りは薄暗くホテルに着いたのは5時半過ぎ。
今朝6時半に出発してからバスに揺られて11時間。
早速、疲れを癒すために温泉へ。ドボン。
そしてお決まりの宴会へ。
59変調に弱い年老いた田舎のラジオ少年は、長旅の疲れもあってか・・・

翌日は熊野本宮大社へ。
参道には階段が。
段数は少ないが、昨日の階段登りで筋肉痛・・・。
現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで、社地は熊野川の中州にあったという。

社地は創建以来その中州にあったと思われ、明治の洪水が起こるまでは社殿が流されることはなかった。
しかし、明治以後、山林の伐採が急激に行われたため、山林の保水力が失われ、大規模な洪水を引き起こしたと考えられている。
旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。
なかなか来られない本宮へのお参りなので、みんなで記念写真を。
パチリ。
その後、熊野本宮の御札を頂いた。
正月を迎える神棚に地元の神様と共に鎮座していただきましょう。

熊野三山の最後は、熊野速玉大社。
ここは平地で階段がない。
ホッ・・・
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶそうだ。
折りしも11月の七五三で、着物で着飾った親子連れで賑わっていた。
可愛い子供たちにおめでとうと声をかけた。
そしてこの後は、お土産店へ。
紀州の梅干・ミカン・魚などなど。特産品は豊富だ。
思い思いの土産を手に北へ北へと家路を急いだ。
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