1300年の時空を超えて
【蘇る平城京】
甥っ子の結婚式に招待された。
お日柄も良く未来ある若い夫婦の誕生を祝福した。おめでとう。
遠出をしたついでに、平城遷都1300年祭で賑わう奈良へと足を延ばした。
「1300年の時空を超えて蘇る平城京"祝い"と"賑わい"の都へ」

平城宮跡の復元建物。
ひとつめは、平城宮の正門・朱雀門。
その前では外国使節の送迎や、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで出向き、新年のお祝いをすることもあったとのこと。
朱雀門の左右には高さ5.5mに築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいた。

そして、朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。
正面約44m、側面約20m、地面より約27m。
直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であった。

大極殿の内壁、高さ約7mのところに、高松塚古墳やキトラ古墳などに見られる東西南北をつかさどる四神、「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の絵が描かれている。
四神以外にも、十二支の動物がそれぞれ描かれ、全面が絵で埋め尽くされている。
また、大極殿内に「高見座」の外観をイメージできる実物大模型が展示されている。
高身座は天皇が儀式の際に着座した、大極殿の中枢をなすものだった。

続いて、平城宮跡の南に位置する唐招提寺へ。
鑑真大和上により創建された。
10年に及ぶ大修理を終え落慶し、金堂(国宝)内陣の諸尊が公開されている。
鑑真大和上の像が安置されている御影堂には、東山魁夷画伯による障壁画が奉献されている。
毎年6月6日の開山忌舎利会の前後三日間のみ公開される。

そして、薬師寺伽藍へ。
爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に1528年の兵火では東塔を除く諸堂が灰燼に帰した。
しかし、昭和・平成の復興により白鳳伽藍の輪奐美として見事に甦っている。
そして、今秋から解体修理に入る国宝の東塔初層が公開されている。
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