田舎のラジオ少年はアマチュア無線に夢中

<2007年11月14日>
祭りに来た友人が撮ってくれた貴重な一枚

【団塊世代予備軍の"田舎のラジオ少年"は高校三年生(1969.4.28)】

JA2PTQ 開局当時交信中(1969.4.28)


 
 中学時代にラジオに興味を持ち始める。
 貧しい田舎の少年は、買ってもらった「模型とラジオ」を穴のあくほど読み返す毎日だった。
 
 物欲しげにしている子供を見かね、親が何か買ってくれることになり、少年が選んだのは「5球スーパーラジオキット」。
 しかし、値段だけで決めたキットは、何とトランスレス。
 
 トランスレス方式を知らない少年は、意味が分からず、せっかく手に入れたのに完成できない。
 町の電気屋さんに意味を教えてもらい、何とか完成。
 
 自転車での通学路にアマチュア無線局があることを知り、勇気を出して訪問する。
 雑誌でしか見たことがないメーカー製のRig。目の前での交信。
 アマチュア無線に憧れる。

 親戚に短波が入る真空管式ラジオがあり、無理を言って頂戴した。受信範囲を3.5MHzからに拡大し、同調しやすいようにスプレッドバリコンを追加し、3.5と7MHzで交わされるQSOを毎日のように聞き入っていた。
 雑誌の送信機や受信機の製作記事を何度も読み返し、自分の開局を夢見て回路図を書いていた。

 高校2年生で電話級アマチュア無線技師を取得。
 当時の試験は記述式だったため、それなりの勉強は必要だった。
 また、試験会場は名古屋市まで出かけなければならず、田舎の少年にとって初めての大都会は冒険でもあった。
 
 資格は得たものの、新しい部品を買う金もなく、ましてやメーカー製のRigなど高嶺の花。
 アルバイトで得たわずかな金を握り締めて、高山市(当時の感覚では都会)の電気屋さんまで中古の真空管式テレビを手に入れるため向かった。
 相当に重いテレビを汽車や自転車で、やっとの思いで自宅まで運搬した。両腕の筋肉は震え、夕ご飯の茶碗や箸が持てなかった。
 
 ろくに知識も工具もない中で、真空管テレビを解体し、その部品でA3送信機を自作。
 足らない機材はローカルのOM局から借用し、なんとかオンボロシャックが完成。
  
 学生の本分は二の次で、毎日のようにOn air していた。(そのせいで、少年の未来は・・・・・・)


 

 
 

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